人生の主導権は自分

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よく年を取ると頭が固くなり、自分の考えに固執するなど柔軟性がなくなるといいますよね。
私の身の回りにいるお年寄り(家族)はそういう人ばかりなので間違いなくそうだと思っていました。時々テレビやSNSで見るスマホやインターネットを活用している新しいことに柔軟に対応しているお年寄りもいるのは知っていますが、身の回りにいないため他人事でした。そういう人もいるけど、基本的には高齢者=保守的だと。確かに傾向はあると思いますが、結局のところ人による、と改めて思いました。(なんでか書き忘れましたが、年齢が若いのにすでに頑固じじいみたいな方に出会ったからです。笑)
そのため、○○=△△の○○に当てはまっているからといって、消極的選択や自己正当化を受け入れなくても良いのです。いつだって、生き方・内面は自分で選択することができます。誰もが、です。

では、どのようにして生き方・内面を選択していけばよいのでしょうか?
それにはまず、ありのままの自分を受け入れる必要性があると私は考えます。自分はこうなりたいと考えるだけでも効果はあるでしょう。なりたくないものを見るより、なりたいものを見るほうが大切で、快適ですから。しかし、ありのままの自分を受け入れられていないと、今の自分が嫌だからこうなりたい、今の自分はこんなんだからこうは成れないとか、全部不足やない方に行ってしまいます。そうなると自分が選べるものの選択肢が減り、これしかないという気持ちを受け入れるために、「自分はこういう人間なんだ」、「元々これが好きだったんだ」と自己正当化に繋がると考えました。つまり、冒頭で言った消極的選択を受け入れるために正当化してしまうのです。
では、もし自分が感じている壁が本当はなかったとしたら?自分が望んでいるものは手に入れられるとしたら?それでも今と同じ願いを抱くでしょうか?

これは自分の実力では無理だからこれにしよう、などという選択は消極的選択です。
ここで、「消極的選択じゃねえよ、俺は…」とか、「だけど困ってないしこれでいいんだ」と弁明したくなったあなたは自分の気持ちを見ないようにしてきた方かもしれません。
自分の本心からの選択で、何も後悔していないなら、自分の正当性を証明しようとかそこまで人に対して弁明しなくていいと思うんです。
協調性があるのはいい面もあると思いますが、すぐ周りから見て正しいか、自慢できるか、どう思われるものかなど他人の視点で測る癖が土台にあるように思います。
今まで本心を抑えて生きてきた人は、全く自分の本音が分からなくなっていることも少なくありません。思考は癖で、必ずパターン化しているので、意識的に少しずつ変えていくことができます。
自分の思考パターンを変えることで、今まで自分が無意識のうちに除外していた道や、新しい場所、新しい行動ができると思ったらワクワクしてきませんか?
RPGで言えば、今まで同じステージのマップしかなかったゲームがオープンワールドに変わるようなものです。色々なものが広がると楽しいですよね!
一個目の記事でも書いた、より多くの人に自分の人生を生きてもらいたい!というのは、自分の本心・本音に従って生きてもらえたらな、という思いが一番強くあります。
なんなら世界は日本だけじゃありません。日本の中で嫌な扱いを受けていて、もう自分はダメ人間なのかも…と思っている方も、合う場所が日本じゃないだけで自分が受け入れられるコミュニティーは絶対にあります。もちろん日本国内だけでも、全国の中に合うところは絶対にあるでしょう。
そもそも自分を卑下して悩んでしまうあなたは、その時点で真面目で、謙虚な心を持っているんだと思います。それは素敵なことだと思いませんか?

自分をありのまま受け入れるとは、自分がダメだと思い込んでいる性格や考えなど、あらゆることに許可を出すことから始まります。そのうえで変えたいと思っているなら、どうだったら理想的なのか、どういう人物像があこがれなのかと、常にあるほうを見ます。
なりたいと思った時点で、あなたはもう、その憧れに到達できる器があります。なりたいならなれるんです。

油断すると私もまだ、すぐ「ない方」を見てしまって絶望感に囚われてしまうことがあります。
そこで気が付いた時に、自分の憧れや理想的な状態などの望んでいること、「ある方」を見ると、世界が広がったような気持ちになります。
元々子供の頃からネガティブで、すぐそっちの考え方に支配されますが、その状態もいいんですよ。私に間違いなんて存在しない、と思うとこうしなきゃだめだ、もう終わりだとかの絶望的な気持ちが薄れていきます。
それに元々ネガティブというのも、そのネガティブの考え方しか知らないからそうなっているだけで、それを嫌だと思っているならポジティブな人の考え方で自分が楽に、心地よくなれるところだけを取り入れていけばいいんです。無理に自分を100%ポジティブにしなきゃ!とかも気負いすぎです笑
もっと気楽になれることを意識していけば、あなたは自然と進んでいけると思います。

あれもできない、これもできない、だから自分はダメなんだという罪悪感を感じつつも、でも自分は元々こういう人間だから、元々こういう状態が好きなんだと正当化し納得しようとしている…でも自分もいつかは…と淡い他力本願な希望を捨てられず、完全に納得できていないことにも気づいていない人を数々間近で見て、自分にもこういう面があったなと気づきました。
そういう人が落ち着く結論は、結局何にもないしこれからも手に入れられないんだから仕方ないと無力感や諦めに着地するのです…。
これでは希望も何もありませんね。もう一度言いますが、人生の主導権は自分で握ることができます。すべてあなたがなりたい、やりたいと決めるだけです。
上の状態の人間も悪くはないです。でも淡い期待を抱いている以上、諦めは本心ではないはずです。ダメな状態は存在しませんが、快適なステージへ行くためには自分の本心を大切にする必要があると思います。
そして「本心を大切に」も頑張りすぎず、疲れたら休み、戻れるなと思ったらまた始めましょう。
休みたいという気持ちも、嫌だという気持ちも、こうしたい!という気持ちも、すべての本心の声を聴くことが「本心を大切に」ということですからね。大丈夫ですよ、安心してくださいね。

一言まとめ
頑張らなきゃ!と焦る必要はない!それでも全てうまくいく~

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