前回は思考や選択はすべて自分が決められるということと、今までのパターンがあったとしても望めば変えられる、それにはまず気が付くことが大切という話をしました。
このまず気が付くことが大切というのは本当に大事だなと実感した事例を思い出したのでメモもかねて共有しようかなと思います。
”気が付くことが大切”を実感したきっかけは身の回りの人とかかわる中でなのですが、その実感について話す前に、その人の人物像について記述しようと思います。
その人は簡潔に言えば、「無いというゼロかマイナス」、「諦め」からすべてを考える、行動するような人でした。例えば、まだ起こっていない最悪の事態を考えていて、それが起こったらどうしよう。それが起こって傷つくぐらいならこの物事自体を壊そう。最悪の事態を防ぐために、先に壊しておこう。みたいな。これよく考えると、壊れるという最悪の事態が、自分の手によって起こってしまったわけですよね。
本来ならどうすれば心から望んでいる方に進めていけばいいか、どうすれば上手くいくか、を考えるほうが建設的に物事を見られるはずです。
しかし、恐れや不安が根付いていると矛盾しているにもかかわらず、素直に自分が望む方向を見れなくなってしまいます。だって期待して壊れたらとても傷つくから。なら最初から望まない、という方法を執るというわけです。
そうなりたくてなっているというわけでも、なってしまった理由もあるのだろうと思います。なってしまった理由も推測くらいはできます。しかしそれなら尚更、そんな辛い状態に自分を置いておくのは精神衛生上も良くないし、自分自身のためにもならないと思い、もし自分の経験や考えが役に立つのなら支えたいと思い、変えようとしていたんです。思い返せば私自身のエゴで、変える権利もないのですが、ずっと苦しそうだったので楽になってほしいとの一心でした。(自分も苦しかった時期があったため)
でもやっぱり変わらないんですよ。一時は納得したように見せても、人間は自分で学ばないと人からいくら言われても他人事です。
これが気づくことの大切さの証明です。現にその友人もメンヘラな人がいて~とか周りの人を精神的に不安定だと判断することはできても、自分自身はそこまでではない普通の人間だと思っているようでした。そういう性格であるだけだと考えていて、自分の感情の浮き沈みの激しさや、その激しさに振り回されるままに行動を決めているなど、思っていないようでした。見たくないという気持ちもあると思います。信じたくないんですよね。普段から自分を無意識のうちに責めているのに、自分が不安定な側の人間だと知ってしまったら、さらに「ダメ」が増えてしまう。そんなことになったら問題だらけに感じて心を保てなくなってしまうでしょうから。
しかし本当は状態に「いい」も「悪い」もありません。自分が”今は”不安定になってしまっているだけで、嫌ならいくらでも変えられます。私が言う「気付く」というのは「認める」という意味も含んでいます。自分の本当の現状を見ないと、間違った方向に進んでしまうかもしれないからです。行ったこともない海外で迷子になっていて、自分が今どこにいるかもわからないなら、自分が泊まっていたホテルに帰るためにどの方向に進んでいいのか分かりませんよね?それと同じです。
「認める」ということは第一歩ですが、自分は感情に振り回されているな、で終わってしまうと、嫌な気持ちになったりもう見たくないと改善まで行く前に絶望感に襲われてしまいます。
次に大事なのが、「じゃあ感情に振り回されてしまう、その感情はなんでくるんだろう?」という、根本の原因を考えることです。大抵は根本を見ず、表面的な問題だけを解決しようとします。これでは間違った努力の方向なので、失うか辞めるかなどのゼロポイントや諦めに向かってしまいます。
例で言えば今の政治もそうです。少子高齢化で人手が足りないから、外国人を入れよう、ですよね。これに関しての根本的な問題は人口が減少しているということで、表面的な問題が人手不足です。だからこれを解決するためには人口を増やしていく、というのが正解なはずなのに、もう人口を増やすことはできないという「諦め」から、ルールもまともに整備せず、外国人を入れるだけ入れるという表面的な解決策しか取れないわけですよ。これはおかしいと思いませんか?
こんなのが個人レベルでも往々にして起こっているわけです。
あとこれは余談なんですが、驚いたので共有させてください。
その友人と電話した時に、相手に用事があり、話の途中で一回電話を切ることになりました。ただ、その時私は話の続きが気になってしまって、続きを聞きたいとつい要望してしまいました。すると掛けなおすよ、と言ってくれ、私もそっちがいいならお願いと言って電話を切りました。
そして電話を再開し、話していたのですが、向こうはまだご飯を食べていない状態だったみたいで、この話している時間があればご飯を食べられたのに、とか思ってしまいこういうのも人間関係が面倒くさいと思う。と言っていました。私は驚きました。その発想がなかったからです。今回のことで言えば”電話するタイミング”が悪かったのが根本原因ですよね。さらに言えばその電話のタイミングを決断したのはその友人自身なので、ご飯が食べられなかった=人間関係があったせいだという考え方だったんだ!と初めて知りました。
他の友人と電話していて、この人と話すと話が長くて時間を取られるから嫌だなと思ったことも過去にありますが、この人と付き合いがあること自体が悪いとは思わず、どう断れば短く済むか、どう電話を切ればいいか、調整の方法を考えていましたし、断れない自分が悪いから仕方ないという考えだったので新鮮でした。今回電話した友人は、すぐ距離を取ってくるのでなんでだろうと疑問に思っていましたが、今回考え方を知れて少し疑問が解消されました。
これも、根本の原因と表面的な問題の話に通じていますよね。
問題なのはわかったけど、自分を変えるのって大変でしょ!?大変なのは嫌だよ!って声が聞こえる気がします笑
高すぎるハードルを自分に課す必要はありませんし、日常のちょっとしたところからでも望むほうに変えていけます。自分の憧れの人ならどうするだろう?とか考えて、食べるものを一品真似するとか本当に小さいところから、自分ができそうって思えることからでいいんです。そういう小さいことでも自分の本音を大切にすることで、自分を尊重する感覚や自分にもできる、一つ変えられた!など成功体験を積むことができ、自信も少しずつ増えていくと思います。
そして、自分が決めたことを自分で守るというのも自信につながると思います。なぜなら人との約束を破る人は、自分との約束も良く破っていることに気が付いたからです。自分が決めたことを破る=自分の選択に誇りが持てない=そんな自分信じられない=自信が無くなるという負のスパイラルに入っているんだろうと分析しました。
ただ守らないのと柔軟に対応するというのは全く別のものなので、一度自分が決めたんだから死んでもやらなきゃ!と自分を追い込む姿勢は必要ないので安心してくださいね。
死んだら何もできないので、柔軟さは大切に、小さいことから気楽にやっていきましょう。
一言まとめ
見てきた経験を交えて前回の話を深堀したよ。自戒も込めて!
コメント